声帯の使い方は、実は私も完全にわかってはいるとはいえないのだが、多分こうではないかな
と思っていることもあるので、ここにまとめておきたい。普通の声楽(発声法)の教科書には書
かれていないことが多いかもしれない。そんな怪しげなことを人様に見せるのはどうかとも思っ
が、なん10年間もの模索の末に到達したのだから、少しはお役に立つこともあるかもしれない
と思って敢えて発表することにした。眉につばをつけてみて欲しい。あなた自身の研究が必要
だ。
私の歌唱を YouTube で聴くことが出来ます。いろいろ言い訳はあるのですが・・・。たとえば URLは
UU2lnscf6KwuZGKp0OGDTXUw&index=1&feature=plpp_video Vaviloov's Ave Maria
まず声楽を志すたいていの人が悩む高音の発声法について述べ、次いで高音に限らず、無理
のない響きのよい声はどうしたら出るのかを述べ、最後に声が嗄れた時の治し方などについ
て述べることにする。以下の文章で、何人かの個人名が出てくるが敬称は省略させていただ
いた。敬意の有無とは関係ない。乞了承。
低音の限界は、それぞれの人の持つ声帯のサイズ(長さ、厚さ)で限られているので、いくら努
力してもある音程以下の音は出ない(共鳴を強化して弱い声をある程度響くようには出来るか
もしれないが・・・)。最低音はいわば弦楽器の開放弦に当たるのだから、それ以下の音が出な
いのは当然だ(私の場合はEぐらい)。これに対し、高音の限界は原理的にはない。声帯の使
い方を修業することにより、いくらでも(とまでは言わないが、相当)高い音まで出すことが出来
る。*
* 声楽を始めたばかりの20歳ごろ私の最高音は2点Eぐらいがやっとで、多くの歌曲がGまであるのが恨めしかっ
た。その後、2−3年の修業でやっとFかGぐらいまで広がった。その後も自己流では時々歌っていたが、長い中断の 後60歳台で声楽修業を再開、Gは楽になり、時々Aも出るようになったが不確実。Aがどういうときに出るのかわから ない状態が2年ほど続いた。その後いまはもう少しわかってきて、よほど不調でなければB はほぼいつでも歌え、さら に上も歌えることが多い。4度高い音を歌えるようになるのに40年以上もかかったことになる。こんなのは例外でしょう が・・・。
高田三郎というポピュラー歌手がいる。彼の著書に「高い声で歌える本」というものがあり、そ
れから多くの示唆を得た。高田の主張を丸々信じてよいかどうかはわからないが、非常に参考
になることが述べられているのは確かである(高田三郎は著名な作曲家と同名だが別人)。
高田によると、最近ポピュラー歌手で、非常に高音で歌える歌手が増えていて(たとえばマライ
ヤ・キャリーなど・・・)、斯界では高音発声法が確立しているとのことだ。同氏もロサンゼルスで
それを習得してきて、日本での伝達者になっているらしい。フースラーの発声法(「歌うこと」大
熊文子訳)を下敷きにしている点もあるようで(「共鳴の焦点」などフースラーの図が用いられて
いる)、一定の合理性があることは確かだろう。高田の著書は友人に上げてしまって今は手元
にないのでうろ覚えである。確実を期したい方は原本に当たって欲しい。
*マライア・キャリーの超高音を聴いてください!
彼は高音を出すための3つの原理を挙げている。1)声帯の張力を高める;2)声帯を薄くする;
3)声帯の使う部分を短くする。少し、注釈を加えると、1)は当然で、ギターやヴァイオリンなど
の弦を強く引っ張れば音が高くなることは誰でも知っているし(弦楽器の調弦)、歌うとき喉でも
無意識にやっているのだと思う;2)は弦楽器の高音は太い弦でなく、細い弦をはじいたり、こ
すったりして出していることに相当する。声帯を太い弦から細い弦に変えればいいのである。
声帯を薄くすると高い振動数で振動しやすくなり、高音が出やすくなる;3)は同じく弦楽器の高
音は弦を指で押さえて発音部分(自由振動部分)を短くして出していることに相当する。
問題は2)、3)をどうやって喉で実現するかということだ。2)の声帯を薄くする方法の方がわか
りやすい。それは喉に力を入れずに、いわゆる 薄く歌う ことで出来る。喉に力を入れると、
声帯がタラコ唇のように厚ぼったくなってしまい、高い振動数で振動しづらくなって高音は出にく
くなる。これに対し、力を抜いて何気なく歌うと、細い声だが、楽に高い声が出る。これは多くの
人が無意識でやっていることで、バス歌手の人が、鼻歌でならテノールの音域の高音を平気で
歌ったり出来るのである(故山路芳久*は、3点Cは新聞でも読みながら歌うのがよいといった
そうだ)。喉と肩の力を抜き 決して頑張らないこと!
* ウイーン国立歌劇場で主演した日本人唯一のテノール。「愛の妙薬」の主役ネモリーノを歌った。
2)とたぶん同じと思われる方法が森明彦の著書にも述べられている。それは 息を吸って出
す 発声方法の練習である。吸って出す声は、声帯が薄くなっているときの声である。声帯を
同じフォームにしたまま今度は息を吐いて出せばよいのだ。
3)のやり方はよくわからない。たぶん正統的な発声法でいう「チェンジ」(passaggio パッサッジ
オ(伊)通過)がそれに当たるのではないかと思われる。高田は、1)タン・トリル(舌のrrrr、巻
き舌)と2)リップ・トリル(唇のrrrr)で高音まで歌う練習をすればできるようになるといっている。
2つのトリルの練習もある程度は納得できる。自分でやってみるとわかるが、喉に力をいれる
とトリルが途切れてしまうから、この練習はスムーズな息の流しかたのよい練習になっている。
つまり高音発声には滑らかな息の流し方が大事だということである。もうひとつ多分もっと大事
な点は、うまく高音まで上がっていけたとき声が自然にファルセットに移行していることである。
これがチェンジ(passaggio)になっているのではないか?
クラシックの声楽界では、ファルセットは、「特別の効果を狙うのでなければ」普通は使っては
いけないものと考えられてきた*。確かに、あまりあからさまなファルセットは実声と音質が違い
**すぎて違和感がある.。だが上手に使うとファルセットも実声とあまり差を感じさせないし、実
声に滑らかにつなぐことも出来る。出来れば自由自在に使えるといいのではないか?
* その昔、3点Cがファルセットでしか出ないので自殺してしまったテノール歌手がいるそうだ。
** ファルセットが美しくないということではない。アルプス地帯のヨーデルはむしろその音質の変化を楽しむ音楽で
ある。 http://jp.youtube.com/watch?v=kjtBBA3K5hw
ただ最近の一部の男性ポップス歌手のようにファルセットを多用しているのはどうだろう?森山良太朗、中孝介
など、好き好きだと思うけれど・・・。森山良太朗は
森明彦も、高音習得法として、2点Hあたりのファルセットから、音程を下がりながら滑らかに実
声につなぐ練習を推奨している。
ファルセット(裏声)の出し方は、先天的に上手な人と下手な人がいる。上手な人は始めから
音域も広く、3点Cぐらいはらくらくと歌える。私は下手なほうで、音域も狭く、2点Bぐらいがやっ とで、Cは例外的に出る程度だ。下手の立場から調べてみると、インターネットで参考になりそ うな文章が見つかった(Sayoko女性?というJohn Denver:ロックシンガー?のファンらしいひと
1)最初はハミングで歌う。焦点は眉間に集めるようにする;2)次にそのまま口をそっと開けて
みる。そのときあごに力を入れてはいけない;3)そのまま軟口蓋をあげるようにして、響きを変
えないように ンー から アー に変える。これでファルセットの完成。注意点は口を大きく開
けすぎないこと。
これは必ずしもファルセットではなく、頭声発声のような気がする。Sayokoの目指す音程は2点
Bである。頭声の練習だったら、普通の人は2点Cより上でやるといいと思う。もっと高音の出る
人なら2点H,3点Cでも出来るのかもしれない。ともかく、ここでいえることは、ファルセットで高
音の出る人は、うまくつなげば、実声でもそこまでは出るようになるだろうということだ。ファル
セットを毛嫌いせず、大いに活用したほうがよい。*
*ファルセットを使いすぎると声帯のしまりが悪くなって歌手寿命を縮めるという説もあるので注意したほうがよい
かもしれない。詳しくは塩塚隆則 http://www2.odn.ne.jp/~cco47400/kyousitu.htm を参照
前項のように、ファルセットまたは細い頭声が出せるようになったら、これから音程をだんだん
下げながら、普通の声、実声に滑らかにつなぐ練習をする。また逆に中音の実声から、音程を
だんだんあげながらファルセットまたは頭声に滑らかにつなぐ練習をする。こうしてファルセット
と実声の間を自由自在に行き来できるようにする。
頭声やファルセットは、少なくともはじめは、あまり音量を出そうとせず、きれいに出すことを心
がけたほうがよい。無理に音量を出そうとするとフォームが崩れてしまって、出ていたはずの声
まで出なくなってしまう。これらの高音はもともとよく通る高い響きの声だから、あまり音量を出
さなくても聴衆によく聴こえるからである。
普通の音域で歌うときの声帯の使い方について述べる。いわゆる中音域である。ほとんどの
歌はこの音域で歌われるので、中音域できれいな声が出ることは非常に重要である。本来
は、前に述べた高音発声よりも大事なことだろう。中音部の共鳴は、軟口蓋の焦点が適切で
あることは他所に述べたから省略し、ここでは声帯に関してだけ述べることにする。
いろいろ試行錯誤した結果、よい響きを得るためには、息を声帯の裏側・真ん中に当てるのが
よいらしいとわかった(声帯の真ん中を使えという表現をした声楽家がいた)。そのためには息
に余裕があって、声帯の内側が外側よりも圧力が高くないとうまくいかない。息に余裕がなくな
って、内外の圧力差が保てなくなると、声帯に正しく息を当てられなくなり、その結果、響きも悪
くなるし、音が揺れたりする(音の揺れとヴィブラートはまったく別ものである。きれいなヴィブラ
ートはあってもよいが、揺れは極力抑えるべきだ)。いいかえると、滑らかに息を送ってやらな
いといい声は出ないということだ。このためにもよい呼吸法が必要なのである(呼吸法について
も他所に述べた)。
息の余裕のためには、肺活量が大きいことは有利だが*、それだけでなく声門閉鎖がきちんと
出来ていて息漏れが少ないことも必要だ。私の場合、両方とも問題があるので、いつも息に余
裕がなかった(3点Cとかの超高音が出なかったのはこれが原因ではなかったか?)。いつも息
が足りなかったのは、喘息のため肺活量が平均以下であるほか、声帯の締りが悪くて息漏れ が多かったためだろう。息漏れが少なくなってから音域が簡単に広がった。
最近耳にしたことだが、肺活量を増やすには水泳がいいということだ(「千の風になって」のテノ
ール歌手、秋川雅史によると、とくに潜水が有効で、彼は毎日25mの潜水を24本繰り返してい
るという)。
声門閉鎖をよくするには「吸って声を出す」練習がよいという(森明彦)。*この方法はよくわか
らない。それよりも別のところで述べたように,ちゃんと響きのある音が出ているときは,声帯 がちゃんと閉まっているらしい。このやり方を追求する方が易しいと思う。
*川村英司は息を節約して使えば、量はそんなにいらないという。そして 「ある実験ではc'''をフォルテで 30秒
間出し続けて、たった50ccの空気しか使わないですんだという」話を紹介している。
呼吸にいつも余裕があればそれに越したことはないが、もし余裕がなければどうしたらよいだ
ろうか?上の2つ(肺活量と声門閉鎖)は短期には結果が出ないからほかの方法も考えなけれ
ばならない。ひとつの答えは、息継ぎを多くとることだ。息が苦しくて喉が詰まってきたり、音が
揺れたりするぐらいなら、息継ぎを多くしても欠点の少ない発声にしたほうがよい*。その際、息
継ぎで音楽を壊さないように注意しなければならないのは当然だ。フレーズに無頓着な息継ぎ
をしてはならない。息継ぎを入れるのはどこがよいかの判断には音楽性が求められる。また、
カンニングブレスも含めて、やむなく息継ぎをしなければならないときは瞬間ブレスの技術が必
要である。瞬間ブレスは、ちょっと聴いたのでは息をしたのかどうかわかりにくい(瞬間ブレス
の方法については発声法入門3で述べた)。
*公共広告機構によりテレビで流された、白血病で亡くなった本田美奈子のアメイジンググレイスの歌唱を聴くと呼
吸法の問題点がよくわかる。この歌唱もかなり悪くなってからと思われる.息が足りなくて苦しい感じがする。
歌い始めの時(とくに午前中など)声が嗄れていたり、ある高さの音だけよく出ないようなことが
ある。ひどい風邪引きなどで喉ががらがらになってしまっているようなときはあきらめざるを得
ないが、何とか声は出ていて、当日どうしても歌いたいなら、声嗄れを治すことを試みたい。あ
まり気短に諦めてしまうことはない。時間(日数)が十分にあるなら、安静もひとつの方法だろう
が、いまは早く治したい。それには、ただ黙っていても治らないから、悪い部分(声帯)をマッサ
ージしてやる方がよい。声帯のマッサージは無理のない声を繰り返し出すことである。この方
法は次節に述べるウォーミングアップにも使える。
声嗄れの治し方はリリー・レーマン*「私の歌唱法」にも出ている。そこでは 大音階を繰り返
し歌う ことが勧められている。
*ドイツの往年の名ソプラノ。メトロポリタンなどで活躍した。
レーマンの方法は、1オクターブを上ったり下がったりする音階(ドレミファソvソラシドvドシラソv
ソファミレド)を「イェーイェーイェーイェーイェー」の歌詞で基音を半音ずつ変えながら、ゆっくり
と根気よく繰り返すのである。
ある音が出ないのは、声帯の一部が腫れているか、タンが絡んでいるためである。私の経験
では(私は喘息もちなのでタンが絡むことが多い)、ある音程を歌うときだけ声帯がビリビリして
いやな雑音が伴ったり、声帯が振動してむずがゆく、つい咳き込んでしまうようなことがある。
これは声帯のある部分にタンが付着していて、ある音程の時だけそこが異常振動をするため
ではないかと推測している。別の音程の時はむずがゆくはないからである。そのような時、大
音階をゆっくりと繰り返し歌って声帯を振動させてマッサージを繰り返しているうちに、タンが吹
き飛ばされてしまうらしく、次第に声が出てくる。むずむずもなくなる。そこまで治れば、声は普
段よりもよく出るぐらいになっている。この練習はウォーミングアップにもなっているのだから当
然である。
リリー・レーマンほど徹底的にやらなくても、もっと手軽な方法は、楽な音域の歌を無理しない
ように注意しながら、基音を変えながら繰り返し歌うとよい。そのような歌い方を30分ぐらい続
けていると、声がだんだん出てきて、声の嗄れは自然に治ってしまうことが多い。楽な歌も声帯
のマッサージによいようだ。
これも経験的なことだが、発声練習は自分にとって楽な音域から始めて、次第に上昇し、最高
音域まで達したら、今度は次第に下降して最低音域まで下がって終わるのがよい。*
* マリオ・デル・モナコは発声練習をいつも最高音域から始めたというが、普通は勧められない。はじめから楽でな
い音域で始めると、喉に不必要な力を入れる癖がつくからである。
発声練習というとアーアーアーばかり歌っているのをよく見かけるが、あまり感心しない。同じ
母音ばかりを歌っていると、舌や口蓋のフォームが固まって疲れてしまうからである。疲れるだ
けならまだいいが、それが癖になるのは明らかに有害である(アーばかりで発声練習をしてい
る人は舌が押し下げられて舌根が硬くなっている傾向がある。それに伴って頭声共鳴が失わ
れ、響きが落ちやすい)。したがって、発声練習はいろいろな母音や子音を混ぜてやるほうが
よい*。専門家でも舌根の硬い歌手は大勢いる!
* 言語でいえば、声楽はイタリア語がよいと考えられている。通常はそうかもしれないが、いろいろな言語を混ぜて練
習するほうが一層よいだろう。それぞれの言語には特徴があって、舌や口蓋はいろいろなフォームをとらなければな らず、それが共鳴腔を柔軟にするからである。
フランス語の鼻母音は鼻への息の流れを作るので頭声の練習によく、ドイツ語は特徴的な子音発音のために、舌根
を柔らかくしなければならず、息が前に出るのを助ける。ロシヤ語は柔らかい軟母音が息の流れを滑らかにし、声も 柔らかくなる等々。日本語は声楽に適さない母音(イ、ウ)もあるが、各母音がそれらしく聴こえるような発声を会得す る練習は日本歌曲のために必須で、発声法全般のためにもよい。言葉がはっきりしないような発声法はどこかが間 違っていると考えてよい。
歌詞で発声練習をするのは非常によいことで強く勧めたい*。ただし、それには発声の良し悪
しを判定して的確に修正を指示してくれるトレーナーがついていることが望ましい(ひとりで模索
することも不可能とはいわないけれど)。歌詞は好きな歌の一部でもよい。ある程度広い音域
の歌詞の例として、たとえば「早春賦:春は名のみの風の寒さや」(1オクターブ+3度=11度)「浜
辺の歌:あした浜辺をさまよえば」(6度)などがあげられる。これらの1節を、基音を半音ずつ移
動させながら歌って発声練習に代えるのである。同じ調性の歌ばかりあまり長く歌うのはよくな
い。声帯の同一部分ばかり使うのは喉を痛めやすいからである。調子が悪いなと思ったら、調
性や言語の違う歌を歌うと治ることがある。
* 私が若いころ師事したリア・フォン・ヘッサートはすべて歌詞のあるメロディーで発声を教えた。"Oh,Ja,oh,ja"と か
"oh ja Koenig!、いーまやーまにー(今山に)"、"さーまざーま"(様々) などなど。
乾燥期には、発声練習で喉を乾燥させすぎないように気をつけたほうがよい。喉が渇いてひり
ひりするような状態で歌うと喉を痛める。ときどき水を飲みながら歌うのはよいことだ*。みか
んを食べると粘っこい唾液が出て、声が出にくくなるという声楽家がいた。しかし、レモン水は
いいらしい。普通ののど飴もよいようだ。
*フェニーチェ劇場のプリマドンナ、ディミトラ・テオドッシュウは「椿姫」日本公演の際、1幕の2つアリアを歌う間に、
ワインを飲む演技に見せかけて数回水を飲んだ。次の動画ではその最後の1回が見られる。
「話すように歌いなさい」というのは、声楽を習ったことのあるたいていの人が先生から言わ
れたことがあるだろう。それぐらいこれは初心者に普通に与えられる注意なのだが、これは正
しいのだけれども、正しくないこともあるのだ。
というのは、日本人には正しくない発声法で話している人が相当多いからだ。たとえばテ
レビで繰り返し流されている某米系保険会社のコマーシャルに出ている俳優は、ひどく喉を締
め上げて声を絞り出して話している(五十八十よろこんで・・・と)。日本の俳優にはあれと似た
発声法の人がかなりいる。喉を締め上げた声が「渋い」とでもいうのだろうか?あるいは素直
な発声では薄っぺらだと思うのだろうか?桂OOOという落語家の声もひどい。声を喉から絞り
だしている。あれは喉を酷使で破壊してしまって、普通の発声法では声が出なくなってしまった
人の発声法だ。
「話すように歌え」というときは、当然あのような発声法の話し方を想定してはいない。しかし、
あれほどでなくても、正しくない発声法で話している人は少なくないから、はじめのテーゼ「話す
ように歌え」は無条件には肯定できないのだ。
かつて晩年のマリオ・デル・モナコ家に居候して声楽を習った宇佐美保氏によると、デル・モ
ナコ先生は「発声の事を全て忘れて話すように歌いなさい」と指導されたそうだ。だが、後に、 デル・モナコ亡き後、夫人は日本映画を見て、「何故、宇佐美の歌がなかなか上達しないのか 判かったよ!日本では、日頃、あんなにも酷い話し方をしているだものね!」といわれたそうで ある。だからデル・モナコ夫妻が、宇佐美氏に発声訓練してくれても、いざ歌う段になって、"発 声の事を全て忘れて話すように!"となると、もう何十年も宇佐美氏に染み込んでしまった、い わゆる日本人の喉声が顔を出してしまうからだったというのである。
人の話し声や話し方がどのようにして形成されるのかまだ研究中だけれど、たぶん身近な人
たちの影響を受け、誰かを真似て形成されるのではなかろうか。もしそうだとすれば、話し声の
発声法が、その人の発声器官にもっとも合ったやり方になっているとは限らず、当人には不自
然なピッチや音色で話されている可能性が相当あると思われる。だから「話すように歌う」ため
には、話し方のほうがまず自然なものであることが条件だろう。
人によっては相手や状況で話し声ががらりと変わることがある。相手が目上だと猫なで声で
優しそうな声で話すが、目下だと急に威嚇的なドラ声になったりする。私が若い頃習ったリア・
フォン・ヘッサート先生は、弟子たちの微妙な気持ちの変化を見逃さなかった。「あなたはいま
OO思いました!」などとすぐ見抜かれてしまう。自分を自分以上に見せかけようとしたり、逆に
気後れしたりすると発声法は必ず不自然な悪いものになる。歌唱に感情が伴うのがいけない
のではなく、歌の内容以外の不純な雑念が有害なのである。
だから「話すように歌う」のはよいことだが、まず意識改革から始める必要がある。それには
自分の発声器官に合った自然な発声法で話すようにならなければいけない。自分を自分以
上に見せかけたり、自分以下に見せかけたりしてはいけない。虚勢を張ってはいけない
し、自分の声に酔ってしまってもいけないし,気後れしてもいけないということだ。
そのように話せる人なら「話すように歌う」ことはよいことである。なぜよいかというと、言葉が
「話すように」明瞭であるためには、舌根や喉周辺に不要な力が入っていないからである。逆
に「話すように」歌うことで喉周辺の不要な力が抜けるからである。
風邪は歌手の大敵である。風邪をどうやって防ぐかは歌い手にとっての重要な課題だ。喉を乾
燥させると風邪を引きやすくなることはよく知られている。だから、冬には単純な暖房だけでな
く、加湿器を併用するのはいいことだろう。しかし、どこでも加湿器が使えるわけでもないし、加
湿器を好まない人もいる。
私がとっている方法は、出来るだけ頻繁に念入りなうがいをすることと、就寝時に薄い簡易マ
スクをすることである。
うがいは、水が出来るだけ喉の奥、出来れば懸揚垂の裏、まで届くようにする。水が一部、鼻
から戻ってくることもあるぐらいにする。女優の森光子が毎日やっているという「鼻うがい」は多
分もっと有効だろう。
寝るときにマスクをするのがあまりに息苦しく感じられるなら、マスクをかけるのは口だけにし
て、鼻は覆わなくてもよい。要は喉を乾かさないことだから、これでも睡眠中に口で息をして喉
を乾燥させるのをかなり防げるだろう。ただし,空気がとても乾燥しているときは, やはり鼻も覆
ったほうが安全だと思う。この方法で、私はあまり風邪を引かないし、2月にコンサートをひかえ ていたあるシーズンに当日まで一度も風邪を引かなかった。
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